正岡子規・夏目漱石から受け継いだ「ことば」と「文学」

四国地方

同じ年に生まれ、親友だった愛媛県松山出身の俳人・正岡子規と、小説「坊ちゃん」を書き残した文豪・夏目漱石。

 

2人が52日間共に暮らした愛媛県松山には、彼らの足跡、そして創造と革新の志が今も息づいています。

多くの俳人、文学者を生み出し、歴史と文化を現代へ継承するこの街には、新たな「ことばのちから」が満ち溢れています。

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正岡子規・夏目漱石 生誕150周年

明治28年(1895)年8月、

松山に赴任していた夏目漱石の下宿「愚陀仏庵(ぐだぶつあん」に、帰省した正岡子規が身を寄せ、2人の共同生活が始まりました。

 

2人のもとには、

正岡子規の友人・柳原極堂(やなぎはらきょくどう)をはじめとする松山の俳句結社・松風会(しょうふうかい)の会員たちが集います。

 

正岡子規

松山で新しい俳句についての考えをまとめ、

また夏目漱石柳原極堂正岡子規とともに俳句に励み、正岡子規の俳句革新運動を支えました。

 

愚陀仏庵での日々がその後の日本近代文学に大きな影響を与えました。

 

平成29年は、

近代俳句の先駆者となった正岡子規、そして松山で子規を見守り、支えた親友の夏目漱石と柳原極堂が生誕150年を迎える年です。

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正岡子規

1867~1902 正岡子規

松山出身の文学者です。

本名は常規です。

脊椎カリエスという難病と闘いながらも、俳句・短歌・文章などさまざまなジャンルの文学の革新運動に取り組み、日本の近代文学に大きな足跡を残しています。

また夏目漱石・森鴎外といった多くの文学者と交流をもち、のちの文学史にも大きな影響を与えています。

松山を詠んだ代表作に「春や昔十五万石の城下哉」があります。

夏目漱石

1867~1916 夏目漱石

東京出身。近代日本を代表する文豪です。

子規とは学生時代からの親友です。

明治28(1895)年に教師として松山へ赴任し、約1年間英語を教える。

愚陀佛庵で正岡子規と52日間同居し、本格的に俳句を学びました。

「吾輩は猫である」をはじめ多くの小説作品をのこしており、松山と縁が深い代表作として小説『坊っちやん』があります。

『坊っちやん』は現在も松山の多くの人に親しまれ、松山のシンボルとなっています。

柳原極堂

1867~1957 柳原極堂

松山出身の俳人であり新聞記者

正岡子規とは少年時代からの親友であった。

正岡子規から俳句の指導をうけ、正岡子規のために俳句雑誌「ほととぎす」を松山で創刊するなど、正岡子規の俳句活動を支える。

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おわりに

明治を代表する文人である正岡子規と夏目漱石。

愛媛県の松山でともに過ごした52日間は、日本文学の発展に大きな影響を与え、松山に「ことば」文化を根付かせました。




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